答えること、質問すること

「会話が成立していない」
昨日の緊急事態宣言の記者会見、菅首相と記者の方々の質問のやりとりを悶々としながら聞いていました。

例えば、フリーの記者の江川紹子さんの質問です。
文章は、首相官邸のホームページに全文が掲載されているので、そちらから引用しています。
https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/statement/2021/0730kaiken.html

江川紹子記者
「フリーランスの江川紹子です。よろしくお願いします。
 ワクチンについてはですね、菅首相、常に具体的な目標を明確にしてですね、進めてこられていると思います。ただ、当面はワクチンが行き渡るまでは人の接触や移動の機会を減らしていくしかないわけで、先ほど更に人流を減らすようにということもおっしゃいましたが、それに関しては具体的な目標と、それから、それを実現するための方法というものが示されていません。具体的には、どれぐらいの人を減らす、あるいは人と人との接触の機会を減らすということが目標としてあるのか、そして、そのためには具体的に何をしていくのかということです。先ほどテレビ観戦を勧められましたけれども、それだけでその目標が到達できるのかということをお伺いしたいと思います。
 尾身先生にも同じことをお聞きしたいと思います。お願いします。」

菅首相
「これ、東京大会の開催が決定してから、東京都内における、これは東京都内が圧倒的にオリンピックの会場もありますから、そういう中で東京に集中する人流を防ぐための対策というのは当時から考えて行ってきています。それが車の乗り入れ3割減だとか、あるいはテレワークによってたしか6割ぐらいだったと思いますけれども減をするとか、それは東京都と連携して、そうしたことを対応してきているということも、これは事実であります。
 そして、無観客でなく一定数観客を入れてのときでも30万は首都圏の人流を少なくする、そうした対策を練っていましたので、そうしたものに基づいて今、行っているということであります。」

江川紹子記者
「具体的な目標は、今の目標は。」

菅首相
「ですから、大会に集中する人のそれよりも少なくするということです。ですから、そこはできていると思っています。」

いかがでしょう?
このやりとりをどのように思われますか?

江川さんは、今後の感染者数の具体的な数値目標と、それを実現するための具体的な対策について聞いているのですが、菅首相の答えは、オリンピックの話、東京都(関東圏)の話での答えになっています。しかも、江川さんが質問している「今後の具体的数値目標と具体的対策」については語られていません。
もしかしたら、江川さんの質問の最後の「先ほど、テレビ観戦を勧められましたけれども、それだけでその目標が到達できるのかということをお伺いしたい。」この言葉に引っ張られ、それを元に答えられたのかもしれません。百歩譲ってそうだったとしても、「今後」というところの答えにはなっていません。

答えるのが難しい時などに、あえて質問に答えているようにして話をはぐらかすということは、政治家の方だけでなく、日常の会話でも見られます。今回も、そういうことなのか、それとも、そもそも質問の意図が伝わらなかったのか、それはわかりませんが、国のトップの発言というのは、国の先行きを決める重いものだと考えると、悲しさを通り越し、言葉も出ないあきらめに近い気持ちになりました。

と同時に、いつも記者の方の質問を聞きながら思うこともあります。
それは「質問が長い」ということです。

質問に至るまでに経緯を話す人もいれば、国民の不安(だと思っていること)を代弁する人、自ら(もしくは自身が所属する会社)の意見を話す人など様々な人がいます。それを聞きながら、私は質問の意図が薄れているような気がする時もあります。
もっと短く、ストレートに聞けないものだろうか?その方が、より伝わるのではないかと思うことが多々あります。

私がNHK時代にインタビューをするときに、アナウンスの統括部長に教わったのは「質問を短くする」ということでした。これは、簡単なようでなかなか難しいことなのです。
なぜ、難しいかというと、それは多分、相手の言葉に対して「何か(例えば、気の利くようなこと)を言わなければいけない」という思いや、「自分の意見や感情を言いたくなる」また、質問の内容によっては「質問を柔らかく聞こうとしてエクスキューズが多くなる」「視聴者や観客がわかりやすいように」というような意識が強くなるからではないかと推察しています。


話すこともとても大切なことですが、的確に質問をする(相手の話を聞く)というのもまた難しく、大切なことだと思います。
こうやって色々と思うことを思うままに綴っていますが、「自分ができるか?」と自問自答すると「できる!」と、答えられないのも確かです。それほど、難しいことだと思うからです。ただだからこそ、日々、できていない自分と向き合いながら、少しでもできるように意識してトレーニングしようと思います。

〜とういうことですよね?という決めつけ

こんにちは。

フリーアナウンサーの三島澄恵です。

ラジオ番組を担当し始めた頃、「〜ですね。」「〜ですよね。」などの「ね。」を頻繁に使っていたようで、先輩から指摘を受けたことがあります。

文末に「ね。」がつくと、これに「?」がついて質問しているようでも、相手に同意を求めている印象になります。また、「〜ということですよね?」という表現だと、相手の考えを決めつけてしまった印象を与えることがあります。

先日、杉良太郎さんが、運転免許証を自主返納をされたことがニュースやワイドショーなどで取り上げられていました。

自主返納に至った経緯や奥様の伍代夏子さんに相談されたのか?など、様々な質問に丁寧にお答えになられていました。そして、ある程度終盤に差し掛かった時に、ある記者の人がこう質問しました。

「明日は我が身と思うことが一番大切ということですよね?」と。

私はインタビューを最初から見ていましたが、杉さんは一言も「明日は我が身と思うことが大切」ということは言葉として表現されていませんでした。話の内容からすると、もしかしたらそれに似たこともあったかもしれませんが、この質問に私はとても違和感を覚えました。

この質問に杉さんがどのように返答なさるかと見ていたら、「そうですね。」と同意はせず、かといって記者の方を否定することもなく、ご自身の考え方を話されていました。

みなさんも、話し相手からまるで自分の考えを決めつけられたように「〜ということですね?」と聞かれたら、どんな感じがするでしょうか?

それが、自分が考えていたことであれば同意をされるでしょうが、似ているけれどなんとなく違うと感じたり、そもそもそんなこと言っていないということだと、どう答えるでしょうか?

今回の「明日は我が身」に関しては、

「明日は我が身と思うことが一番大切ということでしょうか?」

とそのまま聞けば、押し付けや決めつけという印象は薄れます。

ただできれば、相手が言ってない言葉を聞き手が自分の視点で変換するよりも、相手が発した言葉で聞き返した方が、相手も答えやすくなります。

質問の仕方。
それによって答え方や信頼関係も変わってきます。

みなさんは相手の話を聞く時に、どんな風に聞いていますか?

最後まで読んでくださりありがとうございます。ご質問やご感想はお気軽にお寄せください。

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